究極の潜在需要
よく経済番組でビジネス戦国時代!みたいなキャッチフレーズを耳にしますが、きっといつの世も商売は商売敵との戦いや政局の流れのごとく、時代の流れをよんで商売繁盛、天下統一みたいな側面はずっとあるように思うのであまり良い表現ではないと思います。
むしろ世は、総合格闘技(UFC)の時代じゃ!と言ってみたいです。(個人的に・・・)UFCとは聞いたことある方も多いと思いますが、そもそもはUltimate Fighting Championshipの略で直訳すれば〝究極の格闘技〟ということで空手やボクシング、プロレスなどジャンルに関わらず金網の中で「ルールなし」という唯一のルールの下に行われる格闘技の世界です。(ぼくたち世代でいえばドラゴンボールの天下一武道会みたいな話なので、当然、テンションは上がります。)
話を戻しますが、自動車業界などでは日本をはじめほとんどの先進国では、自動車が必要な世帯のほとんどに行き渡り、生産台数が頭打ちとなって産業自体が伸び悩んでいるというのが現実のようです。そんな中でも、アメリカのテスラ自動車が、販売した大衆向け(300万円代)の電気自動車は予約だけで37万台みたいです。すごいとしか言えないですね・・・。おそらく予約した多くの人たちは、初めて車を買う人というよりも電気自動車に乗り換えたい人たちなんでしょう。
きっと、経済評論家やアナリストと言われる人たちは、頭打ちになるグラフや人口動態などを見て、やれ新興国市場だ!だの、大手メーカーなどは取引先や下請け企業のシガラミから思い切った舵を切れないし、政府機関などは雇用問題に関わるので二の足を踏んでいたのかもしれませんが、消費者的にはガソリン価格の不安定さや環境問題の意識などから漠然とした意識変化があったのかもしれません。電気自動車の潜在需要があったのだと思います。
また、テスラの工場はフルオートメーションでトヨタの生産方式じゃないけど、人間がライン生産に関わるのではなく、生産ラインロボットのメンテのために最低限の人間しかいないそうです。そこまでくるとストライキすらなくなりそうです。(中国のAIは体制批判してサービス停止になってましたし・・・。)
翻って、自分たちが帰属する日本の住宅市場に目を向けて見ても同じようなケースはあります。例えば、ヤマダ電気が新築戸建て市場に参入してきて、施工から電化製品までを一括で請け負う事業をはじめていますし、無印良品も少し前から注文住宅を始めていたり、最近では小屋(https://www.muji.com/jp/mujihut/)を専門的に販売しています。いずれもマーチャンダイジング(販売促進)として本業の販売窓口を一つ増やす名目なのかもしれまんが、さながらUFCの様相になってきています。前置きがものすごく長くなってしまいましたが、ブログでぼくが取り上げたかったテーマは、門外漢が始めたスタートアップ成功談!などではなく、〝小屋〟に関してです。
起きて半畳、寝て一畳
今でこそ断捨離だのシンプルライフだの言われておりますが、元々、日本の禅僧や茶道の世界で余計なものをそぎ落として究極まで本質を突き詰めていくプロセスがあったことは皆さんもよくわかると思います。きっと物で溢れた現代社会でなくても、煩悩の世界に生きる人間の本能なのかもしれません。
昔、旅行で行ったインドのマザーズハウス(インド一人旅の定番スポット)でマザー・テレサが晩年暮らした部屋を見学しましたが、本当に起きて半畳といった感じでした。またコルビジェの晩年(というか死んだ時も)カップ・マルタンの休暇小屋でバカンス中だったと思います。ただ、偉人たちの行き着くところミニマルに最低限に本質に落ち着くと言うよりは、その余白と言うか周辺を最大限化しているのではないか?と云うように受け取ることができると思います。(凡人は、少しでも見習いたいですが・・・。)
歴史の偉人たちに限らず、時代のアイコンみたいな人たちも茶室であったり、ツリーハウスであったりを建てています。例えば、藤森照信さんが一昔前に茅野に造った高過庵は今だに行ってみたいと思わせるだけの魅力をぼくは感じますし、VAN LIFEで一躍有名なったフォスター・ハンティントンはツリーハウスでの好き放題な暮らしをしています。最近ではアースバック工法のワークショップに参加している人たちも多いようです。新築やリノベーションと云うベクトルとはまた別の小屋という小さいかもしれないけど潜在的な需要はあって、それは今の流行りというわけではなく、普遍的に人間が求めている欲求のひとつかも知れません。
きっと、所帯を持って小屋暮らしを生活の中心に据えることは現実問題として考えにくいですが、セカンドハウスをどこかに立てようと思った場合に、田舎の山林の一区画を購入して小さな小屋を立てることは考えられるでしょう。また、実家が田舎で裏山を持ってる人などは、帰省の際に子供達と遊ぶスペースとしても良いですし、趣味の隠れ家として作ることは楽しいかも知れません。寝泊りは、すぐそばでキャンプして、風呂やトイレは母屋である実家で済ませたり、近くの温泉や道の駅に衛生部分をアウトソーシングしてしまえば良いのです。
このように考えていくと、日本の住宅事情も先の電気自動車のようにまだまだ潜在的な需要や広がり方?言い換えると拡げ方はあるにも関わらず、どうしても斜陽産業であるとか、市場の閉塞感、行き詰まり感を感じている方も少なくないと思います。ただ、テスラをひとつの先行事例として捉えるならばある種のタブーを飛び越えていくだけの身軽さは重要になってくるのかなと感じます。それは、起きて半畳、寝て一畳的な煩悩に捉われない〝素朴な暮らし〟から生まれてくるのかも知れません。
Roof Top House
そんなこんなを考えて、個人的に引っ越ししようと思って不動屋さんに物件を探しに行ってもどうもしっくりくるものはありません。それが、現実というもので、まさしく煩悩なんですが・・・。
初めて行く不動屋さんにいつも要望を出しているのが、場所はどこでもいいんですが屋上のペントハウスに住みたいですってやつです。とりあえず、初めの掴みとして不動屋さんにこちらのリクエストを把握してもらうのには効果抜群なのですが、いかんせんそういった物件に巡り合ったことはないです。こんなに東京にはビルが立ち並んであり余るほど屋上があれど、そのほとんどは忘れさられたように室外機が置いてあるだけです。もっと、ルーフトップを有効活用すべきだと思います。
それは、両隣や上下階の隣人たちに気兼ねなく暮らせますし、地上階のように車や通行人の騒音などから解放されます。きっと、フレッシュな空気は吸えるだろうし、鳥のさえずりで目を覚ますかもしれません。前出の偉人たちになぞらえて言えば、やはり利便性やステータスというよりも余白の快適性を追求するということなのかな、と思います。
きっと都会のマンションの屋上に小屋があれば、見晴らしは良いだろうし、大家さん的には思いがけず家賃収入が入ることになると思うのですがいかがでしょうか?このブログを見ているオーナー様、不動屋さんの方でルーフトップ開発されたい方がいらっしゃいませんでしょうか。まず、第一号の住人としてぼくが住みますよ!
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